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  わたしたちは神の家族

母の日に寄せて
感謝が日々を幸せにする

牧師 島 田  進

 5月の第2日曜日は「母の日」です。教会では「母の日」の礼拝が守られ、カードを添えて、きれいなお花がプレゼントされます。
 母の日の由来について、以前『たりほ』に書いたことがありますので、今回は母の日を守る意義について記したいと思います。

「親孝行、したいときには、親はなし」というような言葉を聞いたことがあります。私の父は私が19歳のとき50歳で、また母も65歳で召されました。ですから私には両親はおりません。生前、両親の顔やその言動に接しては反抗し、不平や不満をぶっつけて、そのことがさらに自分を惨めや不幸に追いやっていたと思います。両親に対して、私は感謝の言葉を言わず、親孝行らしきことも何ひとつしないで死別してしまったと、申し訳なく想い心も痛みます。「ありがとう!」という言葉を直接、語ることはできません。しかし、亡き両親のことを想い起こして感謝するとき、不思議と私は幸せな気持になります。
 「母の日」を守る意義は何でしょうか。この時に、私たちが改めて感謝することを考えたり学んだりして、心が感謝で満たされ、心を豊かにしていくことである、と思います。
 日頃、私たちは自分の目に見える世界や人物に対して、感謝し喜ぶことが素直にはできません。最も身近にいる両親に対しても同じではないかと思います。両親を見て、感謝ではなく、私が不幸であるのはすべて両親に原因があると思っては溜め息やつぶやき、愚痴で溢れます。
 聖書は、「父と母を敬いなさい。」これは約束を伴う最初の掟です。「そうすれば、あなたは幸福になり、地上で長く生きることができる」という約束です。と、教えています(エフェソ6:23)
 今、私は幸せであるから、幸せになったから、感謝するというのでなく、私の幸・不幸の状態に関係なく、感謝せよ!と勧めるのです。両親を敬い、感謝していく心が養われて、私を幸せにする。これが約束だ、間違いのない事実だと教えます。
 これはとても大切なことを私たちに悟らせています。それは感謝すること、感謝の心こそが幸いを造り出していく根本だということです。逆に、感謝のないことが私を不幸にしていくのです。
 神様はすべての人に両親を与えられました。両親を持たない人はだれひとりいません。私たちには必ず皆、両親がおり、いました。その両親を想い、感謝していくことを学び、感謝していくことが幸いとなると悟るとき、私たち皆に父と母とを与えた創造の神様の偉大さ、賢さに圧倒されます。
 母の日を迎えて、たとえ現実が厳しくても、母を感謝して感謝する心が養われ、感謝の人となりましょう。感謝の人は幸いな人となります。