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 日立教会では毎年度、標語・テーマを掲げて教会形成や宣教の諸活動に与ってきました。今年度の標語・テーマは「私たちは神の家族」です。2010年度から3年間も毎年同じ標語を掲げてきていますので、2013年度には新しい標語をと提案しましたが、役員会、その他いろいろなところで「私たちは神の家族」が良い、と言われています。教会総会には、「私たちは神の家族」にサブタイトルが加えられたものが提案されて新年度の標語として採用されるものと思います。

 ところで、「家族」とはどのような意味で考えられるでしょうか。同じ家に一緒に住む血族や親族同士? 結婚して家を出てしまった娘や息子は家族でなくなってしまうのでしょうか? 姓が変わると家族ではなくなるのか? 今一緒に生活している妻の両親は? 都会にいる孫は家族と言えないの? その人その人にいろいろな事情があり、家族とはこれだと一概に定義付けできないのが現実です。
 PCの検索を紹介しますと、「家族と言えば父母、兄弟姉妹、祖父母など親族関係で、一緒の住宅に住む人間を指す。また、犬、猫等のペットも家族の一員に含むことが多い。親族関係でなくても、深い付き合いをしている間柄に対しても家族と言うこともある。」と説明しています。つまり、家族とは特別に法律で定められるものでなく、この人は私の家族であると「私が思えば」、犬・猫も、また血縁や親族に関係なくどんな人も「私の家族となる」のです。
 このように「私が私の家族と思えば、だれでも皆、私の家族となる」と知ると、私がどう考えるか、どう思うか、改めて隣人に対する私の存在自体と、信仰が問われます。

 聖書『出エジプト記』に、エジプトで奴隷として苦役を負っていたイスラエルの民を、神様がモーセを用いてお救いになったことが記されています。エジプト王は頑強にイスラエル民族を解放することを拒みますが、民の中で役立つ者のみを連れて出て行けばいいと、モーセに言います。しかしモーセは、「若い者も年寄りも一緒に参ります。息子も娘も羊も牛も参ります。主の祭りは我々全員のものです」と言いました(出エジプト記10811節、123738節)。モーセは神様から、神の民は神の家族であり、年齢や仕事が出来る・出来ないで、分け隔てすることができないことを学びました。すべての人々が神の一つの家族であり、主の祭り(主への礼拝)を我々が全員で担っている大家族です。新約聖書ではさらに明確に、教会が神の家族だと教えています(エフェソ書219節)。
 教会にはいろいろな人々が集いますから、意見の対立、不一致も生じます。しかし、その相違、互いに違うことが、また一緒に主の祭りを担う、恵みの豊かさとなるのです。