本文へジャンプ
 
 聖書の中に記されたお話です。ある律法の専門家がイエス様を試そうとして、「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」と 尋ねました。イエス様は 「第一の掟は、これである。 『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟は ほかにない。」と教えられました(マタイ福音書22:3739、マルコ福音書12:2931)。

  これらの箇所を読んで、イエス様の「
あなたの神である主を愛しなさい」というお言葉に衝撃を受けました。
 私たちは、神を信じるとか、イエス様を信じる、聖霊を信じるというように、信仰のことがらは「信ずる」という言い方をよくしますけれども、神を愛する、イエス様を愛するという言い方は、あまりしないのではないかと思います。
 しかし、イエス様は旧約聖書『申命記』6章4節のお言葉をもって「あなたの神である主を愛しなさい」と教えられました。そしてまた神を「愛する」という同じ言葉をもって「隣人を自分のように愛しなさい」と教えられました。

 では、「愛する」とはどのような愛でしょうか。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ福音書3:16)。このお言葉の中の「神は世を愛された」は、「あなたの神である主を愛しなさい」、「隣人を自分のように愛しなさい」と同じ愛するという言葉が使われています。

 神の究極の願いとは御子イエス・キリストによってすべての人が救われることです。一人でも滅びることは神の御心ではありません。この私を救うために、神は御自身の独り子なるイエス・キリストを、私に代えて十字架につけられました。

 また、私を愛するゆえに、イエス・キリストは十字架の苦しみを負い続けて死んでくださいました。このような神が他におられるでしょうか。罪なきイエス・キリストが、私の罪のために苦しまれて死んでくださった。こんなことが他にあるでしょうか。そのような愛の神、キリストの愛を知って、私を愛してくださる神を、私も愛します。そしてまた、その神様の愛に支えられて、私は、自分のように隣人を愛します、ということが私たちの中に湧き起こり、愛する人となるのです。

 「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」(ヨハネの手紙一4:78) 
 神の愛が満ち溢れる社会とするために。