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 教会暦で今年3月5日()が「灰の水曜日」です。「灰の水曜日(Ash Wednesday)」って何でしょうか。今回は「灰の水曜日」について記します。
 キリスト教会の三大祝祭日は、クリスマス(キリスト降誕日)、イースター(キリスト復活日)、ペンテコステ(聖霊降臨日)です。灰の水曜日は、2番目のイースターと関係しています。つまりイースター(復活日)の前の46日間を「受難節(レント)」と呼ぶのですが、この受難節(レント)の始まりの日、最初の日は毎年、「水曜日」で、昔から「灰の水曜日」と呼ばれています。
 今年2014年は、イースター(キリストの復活日)が4月20()です。その46日前が3月5日で「水曜日」です。なぜ「灰の」水曜日なのでしょうか。
 聖書の中に描かれている灰の象徴的な意味を記したいと思います。
 
創造主である神によって、人は土の塵(ちり)で形づくられ、その鼻に神の命の息を吹き入れられて生きる者となりました。しかし、創造主である神の御言葉に背いて罪を犯し、人は皆、罪のゆえに死ぬ者、塵に返る者となりました(創世記3章19)。灰は死を語ります。人には皆、罪があり、死を免れる人は一人もいない。人は罪のゆえに死すべき者であることを想起させます。
 次に、灰は、悲しみや嘆き、懺悔、悔い改めなどの象徴として描かれています。
 義人ヨブは「灰の中に座り」、自分の苦しみや悲しみを表しました(ヨブ記28)。ある貧しい詩人は「わたしはパンに代えて灰を食べ」(詩編10210)と嘆きの祈りを神にささげています。また新約聖書にも「これらの町はとうの昔に粗布(あらぬの)をまとい、灰をかぶって悔い改めたにちがいない」(マタイ1121節)と、罪の告白、悔い改めのしるしとして灰を用いています。
 「灰の水曜日」には、前年の棕梠の主日に用いた「棕梠」の枝を焼いて灰にし、その灰をかぶって懺悔や悔い改めの象徴にしたと言い伝えられています。日立教会ではこれに倣い、棕梠の枝を焼いて灰にし、「メメント・モリ(汝、死を覚えよ、あなたは灰になる)」の言葉をいただきながら、この灰を額(ひたい)に十字のしるしに塗って、受難節を厳かにスタートしています。

受難節は、新しくキリストの体である教会に加えられるための洗礼の準備期間として、また、教会の交わりから離れていた人が、悔い改めと赦しを信じて回復される恵みのときとして大切にされてきました。
 さらに、信仰者にとっては、罪によって滅ぶべきこの私が、キリストの十字架の死によって罪赦された。新しい命に生きる私は何をすべきか、何ができるか、を真剣に考え、信仰の更新されるとき、それが灰の水曜日から始まる「受難節(レント)」の過ごし方ではないかと思います。主の恵みを!