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 教会では、毎年8月第1日曜日を「平和聖日」と呼び、地球上が戦争のない平和な世界となるべく熱き祈りをささげ、私たち皆が平和を作り出す人となる決意を新しくする日としています。
 太平洋戦争敗戦から69年を迎えました。私たちの生活の場からは、戦争の恐ろしい爪痕を見ることがほとんどなくなりました。心に戦争の傷跡を負い、私たちに戦争の怖さを伝えてくださる人も少なくなりました。沖縄・広島・長崎等に建てられた戦争を記録した資料館や記念館を訪ねなければ、あるいは図書館等で歴史書、DVDの資料映像に見なければ、戦争の惨禍を知ることができないという時代になってしまいました。戦争からすっかり遠ざかってしまいました。だからと言って、戦争がなくなったというのではありません。
 日々新たな紛争、内戦が起こっています。ウクライナの内戦とマレーシア航空機の撃墜、イスラエル軍がイスラム組織ハマスとの戦闘でガザに侵攻し子供を含む1500人を超える死者が出ました。この他にも数多くの紛争が世界各地で起こっているのです。これらの侵攻、戦いとは、すべて自国民を守るために始められた戦いです。

 日本国憲法第9条「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」
 ある人々が言うように、日本国は国民を守るために軍隊と武器をもって戦うという自由や権利を持っているでしょう。しかし、もう一つの自由と権利―それは軍隊や武器を持たない。それらを用いて紛争解決に対応しない、という自由や権利があります。戦争を体験し、日本国は後者の自由と権利を選び取って、これを9条で明文化していると、私は信じています。武器で戦う自由があれば、武器を捨てる自由、戦わない自由があるのです。全ての人類が平和の中に生存権を有しているので武器を捨てました。
 防衛費増額や集団的自衛権行使容認が戦争の抑止力となると言う人もいますが、9条「武力による威嚇‥国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」の文言を味わうべきです。
 「あなたがたは、この世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」(ローマ12:)